下野市の文化財

薬師寺回廊(内)

文化財の詳細情報

薬師寺回廊調査写真

▲薬師寺回廊調査写真

薬師寺航空写真

▲薬師寺航空写真

薬師寺跡伽藍配置

▲薬師寺跡伽藍配置

 平安時代に書かれた歴史書(れきししょ)である『続日本後紀』(しょくにほんこうき)には、848年の頃の下野薬師寺の姿が記されています。それによると、奈良のお寺のように立派なお寺であったとされています。しかし、その後、火事によって建物のほとんどが焼けてしまったということです。その後、塔などの建物が再び建てられますが、しだいに衰退(すいたい)し、1092年頃には建物が「破壊転倒(はかいてんとう)」しているという状況だったことが分かっています。
 鎌倉時代になると慈猛上人(じみょうしょうにん)により下野薬師寺は一時的に復興(ふっこう)されますが、南北朝期に足利尊氏(あしかがたかうじ)兄弟が全国に安国寺(あんこくじ)が建立(こんりゅう)されたときに、下野国(しもつけのくに)では下野薬師寺を安国寺と改称したといわれています。この安国寺も、1571年に北条氏(ほうじょうし)の兵によって火事となり焼け落ちたと伝えられています。