下野市の文化財

  • 下野国分寺跡
    しもつけこくぶんじあと
  • 文化財の種類
  • 史跡
  • 文化財指定団体
  • 文化財が造られた時代
  • 飛鳥・奈良・平安時代
  • 文化財の所在
  • 下野市国分寺868
  • 概要
  •  下野国分寺跡は、奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇の詔によって全国60数か所に建てられた国立の寺院のひとつです。伽藍(寺の建物)配置は、全国の総国分寺である奈良の東大寺と同じ形式(東大寺式)で、南北一直線上に南から、南大門、中門、金堂、講堂が並び、中門と金堂は回廊によってつながれています。塔は回廊の外側東方に置かれ、基壇の規模から七重塔であったと推定されています。また、金堂・講堂を挟んで東西には鐘楼、経蔵が置かれています。

文化財の詳細情報

塔跡礎石

▲塔跡礎石

鳥瞰図小

▲鳥瞰図小

塔跡階段

▲塔跡階段

これまでの発掘調査から、寺院地の規模が東西413m、南北457mになることや、金堂や塔等の主要な建物の規模などが明らかになっています。また、堀や溝の作り替えから、伽藍地とその外側を区別する寺院地の範囲や変遷がほぼ明らかにされ、1~5期に時期区分することができます。
 1期(8世紀中葉)は塔・金堂などの創建期、2期(8世紀後半~9世紀前半代)は主要堂塔が完成し伽藍地を掘立柱塀で囲む時期、3期(9世紀後半代)は伽藍地を縮小して掘立柱塀を築地塀に建て替え、寺院全体を大きく改修する時期、4期(10世紀以降)は主要堂塔の補修や溝の掘り直しを行わなくなる衰退期と考えられます。
 下野国分寺の終焉は明確になっていませんが、遺構・遺物からみると、11世紀ないし12世紀代まで法灯が続いていたと推測されます。

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