本市で現在まで伝えられている民間信仰や祭礼は、近世以降に市内各地に広まりました。これらは社会情勢や生活習慣の変化に応じて形を変えながら、市内にある社寺とその周辺に住む人々を中心に継承され、本市の特徴的な歴史文化を表しています。
民間信仰関連文化財群めぐり下野市は中世の下野国で名を馳せた武士、宇都宮氏と小山氏の勢力圏の狭間で支配をめぐり、数度にわたる戦闘が繰り返された地域です。進退をかけた戦闘の痕跡を示すように、市内各地には城館跡や関連する石造物が残されており、有力豪族(武士)の勢力の狭間で形成された本市の特徴的な歴史文化を表しています。
中世城館関連文化財群めぐりしもつけ古墳群は、古墳時代後期(6~7世紀)に造られた栃木県南部(下野市、栃木市、小山市、上三川町、壬生町)に所在する大型古墳(首長墓)群です。特徴として①古墳の墳丘に幅広い平坦面(基壇)を持つ、②凝灰岩の切石を組み合わせた横穴式石室を持つ、③前方後円墳は前方部のみに埋葬施設を持つが挙げられます。このコースでは、しもつけ風土記の丘資料館周辺のしもつけ古墳群を巡ることができます。
しもつけ古墳群めぐり(国分寺地区) 江戸時代、下野市域には五街道の一つ、日光街道が通っていました。街道の整備とともに宿場(小金井宿・石橋宿)や将軍が日光へ参拝するために立ち寄る休憩所が整備され、近隣の村々からは助郷として多くの人々が集まりました。
また、諸国を周遊する文化人も宿場に逗留し、様々な文化を当地に残しています。小金井宿の慈眼寺には宿内の旦那衆が集まり、連歌を詠んだ記念の額や歌碑が奉納されています。