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10月18日(木)、古代米の稲刈りを行いました。
時折小雨の降るあいにくのお天気でしたが無事に収穫することができました。

 

 

 

「稲刈り」というと、コンバインを使って刈りながら脱穀まで済ませてしまうのが一般的ですが、
ここではそのような便利なものは使いません!!ひたすら手作業で刈り取っていきます!!!

私たちが栽培している緑米というお米は、縄文時代に伝来したと言われています。
籾摺り後のお米がほんのりと緑色をしているのがお分かりになるでしょうか。
(下の写真は昨年収穫したお米です)

 

刈り取った稲は麻縄で束ねていくわけですが、これがなかなか手間取ります。
ここで手を抜くと、干す時、脱穀する時にバラバラになってしまうため力を込めて括りました。
緑米は通常の白米より丈が長く重いのです。
なかなかの重労働であることをお察しください(゚ー゚;

収穫したお米は、毎年3月に開催される史跡まつりで古代米餅として無料配布される他、
市内小学生の体験学習などに使用されます。

まだまだこれから脱穀、籾摺り等の作業が待っていますが、
ひとまず今年も豊作でホッとしました♪
3俵くらいになるのではないかということです。

(下野薬師寺歴史館 K.T)

かんぴょうむき機

| かんぴょう |

 かんぴょうの生産は終了し、夕顔畑も次の作物を作るためにすっかりきれいになってしまいましたが、今年がかんぴょう伝来300年(伝)ということで、現在、生産道具の収集を行っています。

 地元紙にこのかんぴょう道具収集の記事が掲載されたことから、ここ最近は道具の寄贈等の問い合わせがあります。残念ながら地元からの問い合わせがあまりないのですが、先日は宇都宮市(旧河内町)に資料の調査にでかけました。

下の写真が、かんぴょうむき機です。

 新しいもののようにみえますが、意外と古いもので昭和30年代から40年代のころにつくられたもののようです。茨城県結城市の稲葉工業製のもので、ふくべをモーター等で回転させるいわゆる電動式丸むき機といわれれるものです。今使用されているものはモーターが内部にありますが、これはモーターを外部に置くタイプのようです。

かんぴょうむき機と一緒にこんなものも残されていました。

 一見するとなんだか想像がつきませんが、これはかんぴょうを干す際に裾がくっついてしまったものをはがす「裾分け」という作業に使われたものと考えられます。であれば、これまでになかった資料ですが、現在名称も含め詳細を確認中です。もし本当に裾分けの道具であれば、新たな資料として貴重なものとなるはずです。