本日、10月18日に収穫した古代米の脱穀を、下野薬師寺ボランティアの方々と共にしもつけ風土記の丘資料館にて行いました!
脱穀は、昔ならではの足踏み式脱穀機(通称ガーコン)を使用!
足踏み式脱穀機は逆V字型の針金を埋め込んだ円筒形のこぎ胴を人力によって回転させ、そこに稲の束を押し付けることで穂から実をこそぎ落とす機械です。
こぎ胴の回転はとても速いので、手を巻き込まれないように細心の注意が必要となりますが、下野薬師寺ボランティアの方々は慣れた様子で脱穀を進めていました。
私も脱穀機を体験させていただきましたが、稲の束をこぎ胴に持っていかれてしまい脱穀になりませんでした。 (;-ェー)
穂から実を落としたら次の作業は、「唐箕」を使用してゴミを取り除き、籾米にします。
唐箕は上部にある漏斗から少しずつ穀物を落下させ、そこに横から風を送って藁屑などの軽いものを吹き飛ばす機械です。
藁屑などが混じっている籾米を唐箕にかけると‥
ご覧のとおり!藁屑などは取り除かれ、籾米のみになりました!
そして、気になる今年の収穫量は、米袋(30㎏用)で10袋になりました!
実際籾摺りを行うともう少し嵩が減るのですが、昨年の収穫量6袋に比べ豊作です!
下野薬師寺ボランティアの皆様お疲れ様でした!
次の作業は籾摺りです☆
11月9日(金)、歴史館近くの畑にてエゴマの収穫を行いました!
少し肌寒い気温でしたが晴れて、絶好の収穫日よりでした。
まず、エゴマを刈り取り、ビニールシートの上でエゴマの実をシートの上に落とします。
下の写真はエゴマを刈り取っている様子です。
大量のエゴマにみなさん悪戦苦闘していました‥。
そして、次はシートの上に落としたものを、実だけとるために、何度か篩いにかけます。
目や口に小さいゴミが入りやすく、こちらも大変な作業でした。
気が付くと、太陽は西に‥。
エゴマ収穫は一日かかってしましました。
苦労の甲斐あって箱いっぱいのエゴマを収穫!
このエゴマをあとは水で洗い、乾かして搾油できるようにします。
さて今年は何リットルのエゴマ油になるでしょうか?楽しみです☆
10月18日(木)、古代米の稲刈りを行いました。
時折小雨の降るあいにくのお天気でしたが無事に収穫することができました。
「稲刈り」というと、コンバインを使って刈りながら脱穀まで済ませてしまうのが一般的ですが、
ここではそのような便利なものは使いません!!ひたすら手作業で刈り取っていきます!!!
私たちが栽培している緑米というお米は、縄文時代に伝来したと言われています。
籾摺り後のお米がほんのりと緑色をしているのがお分かりになるでしょうか。
(下の写真は昨年収穫したお米です)
刈り取った稲は麻縄で束ねていくわけですが、これがなかなか手間取ります。
ここで手を抜くと、干す時、脱穀する時にバラバラになってしまうため力を込めて括りました。
緑米は通常の白米より丈が長く重いのです。
なかなかの重労働であることをお察しください(゚ー゚;
収穫したお米は、毎年3月に開催される史跡まつりで古代米餅として無料配布される他、
市内小学生の体験学習などに使用されます。
まだまだこれから脱穀、籾摺り等の作業が待っていますが、
ひとまず今年も豊作でホッとしました♪
3俵くらいになるのではないかということです。
(下野薬師寺歴史館 K.T)
かんぴょうの生産は終了し、夕顔畑も次の作物を作るためにすっかりきれいになってしまいましたが、今年がかんぴょう伝来300年(伝)ということで、現在、生産道具の収集を行っています。
地元紙にこのかんぴょう道具収集の記事が掲載されたことから、ここ最近は道具の寄贈等の問い合わせがあります。残念ながら地元からの問い合わせがあまりないのですが、先日は宇都宮市(旧河内町)に資料の調査にでかけました。
下の写真が、かんぴょうむき機です。
新しいもののようにみえますが、意外と古いもので昭和30年代から40年代のころにつくられたもののようです。茨城県結城市の稲葉工業製のもので、ふくべをモーター等で回転させるいわゆる電動式丸むき機といわれれるものです。今使用されているものはモーターが内部にありますが、これはモーターを外部に置くタイプのようです。
かんぴょうむき機と一緒にこんなものも残されていました。
一見するとなんだか想像がつきませんが、これはかんぴょうを干す際に裾がくっついてしまったものをはがす「裾分け」という作業に使われたものと考えられます。であれば、これまでになかった資料ですが、現在名称も含め詳細を確認中です。もし本当に裾分けの道具であれば、新たな資料として貴重なものとなるはずです。
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